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看取り

今日は中村仁一先生の講演会のため京都に行きました。
"大往生したけりゃ医療とかかわるな"を出版されるまでは多くて50人ぐらいだった参加者が、今日は会場に入りきれないほどの盛況ぶりで、ざっと100人ぐらいは参加されていたと思います。
しかも遠くは名古屋から、四国の徳島や九州から飛行機に乗って参加されている方もいらっしゃいました。

上記の本は現在40万部売れているそうです。
やはり時代が欲しているのかなと思います。

さて、今日の講演会の内容は、『いい看取りとは』でした。
私の中でもいつもテーマとなっている問題だったのでどうしても先生のお話が聞きたかったのです。


よく「いい看取りだった」と語られますが、誰にとっての"いい"なのでしょうか?
本人、家族、介護者、あるいは医療者なのでしょうか?いずれもが満足できれば理想的ですが、しかし、少なくとも本人の満足なくして他者の満足などあり得えない、と先生はおっしられていました。
私も全く同じ考えです。病院で勤務しているときによく感じたことは、自分の最期であるにもかかわらず、ほとんどの方が自分の最期はこうしたいということを全く考えていないということでした。結局は家族の意向に添う医療が行われることになり、本人の意志に添うものだったのかな疑問に思わずにはいられないものが多かったのです。
亡くなられる方にあなたは満足でしたか?と聞くことは不可能なので、本当のことはわかりませんが‥‥


先生のお話しは、本人がいい看取りだったと思えるために、看取られる側と看取る側の心構えについて語られました。


まず看取られる側としての心構えとして
①早い時期から"死を視野に"入れ、生き方、死に方を考えておく。
②どうしてほしいのか、どうしてほしくないのか自分の考えを意思表示しておく。
③家族(遠くの親戚も含め)とよく話し合って、妥協点を時間をかけて見出だしておく、などてす。

看取る側の基本的心得として
①無用な苦痛を与えない
②不快がることはしない
③本人にとっての最善を考える

これらを中村先生は非常に重要なことと教えてくださいました。


家族、親戚はよく「やれるだけやってください」と言われることが多いですが、でもそれは誰にとってのものかを考えなければなりません。家族や親戚は自分の自己満足のためではなく、本当に本人にとってはどうなのかを考えてほしいと思います。普段からお互いに話し合っておくことが重要だと思います。


介護職の方、特養や老健で介護されている方に多いのですが、食べなければ弱ってしまうとばかりに、無理矢理に口に食べ物を突っ込む人がいます。無理矢理に入れられれば反射的に嚥下しますが、誤嚥の危険もあり、強制的に口に入れられているとしたら拷問といえます。もういらないと言う、伝えられない方でしたら表情を読み取るということをしてほしいと思います。本人にとってよかれと思っていることが、逆に苦痛を与えていることになっていることに気づいてほしいです。


次に医療者ですが、医療者にとっての「死」は、医療の敗北と考えている方がたくさんいらっしゃいます。
そもそも医療の目的は、回復することと、生活の質の向上のためにあります。
充分に生き、今命の灯が消えかけようとされている方に、少しだけ命を延ばすことが、本人にとってどうなのかということを考えるべきです。


いづれもの人が心から穏やかで、安らぎのある看取りであるなら理想的だと思います。
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